読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

novintos

のびられぬ日はのびぬなり

「わたし、一人でちゃんとしっかりできますから!」

ブログ

おせっかいっていいじゃないですか。

 

先週の土曜日の深夜、神田から電車で帰宅中のこと。

わたしはたまたま席に座れた。

次の駅で、乗客がたくさん乗り込んできた。

目の前に仕事帰りっぽい女性の方(30代中頃。ショートカットの明るい茶髪。目を開くとクリクリしていて童顔。アパレル業界っぽい)が立った。

手摺に片手で掴まったまま、ぐわんぐわん身体を揺らして寝ている。

後ろの方、左右の方に全力でもたれかかり、周りも、うわ〜って顔をして彼女を押し返している。

 

たまたまお昼に友人のオフィスで昼寝をしていたわたしは席を立ち、お姉さんに座るよう促した。

「えぇ…!あ、あ、でも、だめです!悪いです!わたし寝過ごしちゃう…」とか涎を垂らして半目でもごもご言っていたが、座らせた。

15秒くらいして彼女はふらふらと立ち上がろうとした。

 

その時に言った言葉

 

「わたし、もう大丈夫です。わたし、一人でちゃんとしっかりできますから…!」

 

もうなんなんだこれ、ってイラっとした。「はいはい。いいから座って」って大阪のおばちゃんみたいに、彼女の肩に手を置いて座らせた。

降りる駅を尋ねて、わたしの降りる駅の少し前だったので、そこで起こすから寝てて、と伝えた。

ありがとうありがとう、ってぐずぐず泣き出した彼女は3分後にいびきをかいていた。

 

絶対大丈夫じゃないじゃん。

席代わっただけで、

泣くほどのことじゃないし。

そんなことが身に染みて泣いてしまうまで、ひとりで何やってんだ。

何でも一人でちゃんとしっかりできなくていいし。

みんなで生きてるんだから。

 

そんな気持ちがわーって湧いた。

大学2年の時、雨の日に濡れて歩いてるわたしに傘をくれて走り去ったサラリーマンのことを思い出した。なんだか、泣きそうになったことを思い出した。

 

なんか、こんなにも、一人で生きていけなきゃ一人前じゃないって気持ちに、誰がさせてるんだろう。

おせっかいな人が増えてもいいと思う。

わたしはもっとおせっかいになっていいとおもう。

ついに9回目のロルフィング。

ロルフィング

全部で10回のロルフィング

今日は、ついに9回目を受けました。

あっという間でした。

身体も固くて、考え方も

『こうでなきゃ!こうしなきゃ!』

って自分を責めて追い立てるスタイルだったのが柔らかく、柔らかくなってきました。

(それも強さのひとつの形だったからダメじゃないけど。)

首がすっと伸びて、四肢ももっと自由にぶらぶら出来て、ひょこひょこ歩きもちょっとずつなくなっていきました。

 

ロルフィングですごく楽になったから、他の人にもぜひ受けてほしい。

ぐっと生きやすくなるから。

ロルフィングを一回受けて、これを生業とする!って決めたくらいだから。

そして、全10回っていうのがやっぱりいい!

潔い。

 

よかった。

来年から学ぶものは、自信を持って、お届けできるもの。

自信を持って対価を頂けるもの。

 

 

◯ホット豆乳にすりおろしりんごと蜂蜜♡ ゆかちのお家で作ってもらったもののアレンジ。

やさしい味。

f:id:novintos:20161127144346j:image

 

自分が何かに没頭できないと思い込んでいる人は、没頭した状態になるのが怖いだけだと気づいた話。

ブログ

一念奮起して何かに没頭することに得手・不得手があることよりも、自分が没頭状態になることが怖いから避けているように思う。

 

わたしは集中力が昔からある子どもだったと思う。

いや、集中力と呼ぶよりも没頭力と呼ぶほうが正解かも。

例えば本。

本を読んでいて、人が部屋に入ってきたことに気付かないことはよくあったし、5,6時間、体勢をくるくる変えながら本を読むことはよくあった。

 

没頭状態はわたしにとって少し危険な状態だった。その本を読んでいると間は他のことを忘れてしまう。文字通り時間を忘れてしまって友達を大激怒させたこともある。この本を読みたい。この本を読み終えるまで他の本は読みたくない。

ちょっとした変人だ。

 

そして、経験を積む内に、ちょっと集中しただけじゃなかなか続けられないことに直面する。短期的な集中力じゃ賄えない。じゃあ長期で集中してみる?

それはしんどそうだ。

危険だし。

寝ないでやろうとするかも、自分。

寝たいな。出来ないかもしれないし。

没頭して出来なかったら悲しいし。

変人に見えるし。

 

と、そのような状態でした。

 

 

なのでここでいっちょ、上記の思い込みをなかったことにして、したいのことよ優先順位をつけて思い切ってそれに偏って、変人になろうかと思います。

 

没頭怖い人の皆さんは、いい加減良いバランスを〜と逃げ口上に使っていないで思い切って偏ってまいりましょう。

 

6,7歳児も円形脱毛症になる。

ブログ

「先生に抱きついちゃダメだよ」と同級生を止める子ほど、誰よりも抱きつきたいと思っている。

 

とても不愉快そうに、先生に甘える同級生を睨んで、物理的に止めようと間に入る児童は、甘えたいけど「甘えていけない」と日頃から自分に言い聞かせてる。

 

「先生のセーターが伸びるからダメだよ」と、我慢して、相手を気遣うことをアピールしながら同級生を止める子どもは、「我慢していること」を褒められ慣れている。我慢することでしか認められないのなら、ストレスで円形脱毛症にもなる。

 

「甘えたい時は甘えてもいいんですよ」と、毎日毎日、動きや全身で子どもに伝える。子どもたちがワ〜っと抱きついてくるのが毎朝の恒例。とても大切なこと。努力して我慢することより、工夫して人に頼ることを身に付けてほしい。

 

人生が楽しくない理由

ブログ

主体性がないから。

主体性は生活の小さな行動にも発揮される。逆も然りで、主体性を発揮しない生活も容易く送りやすい。

シンクに洗わないといけないお皿が積み上げられていて、いい加減嫌になって洗う。

などから、

この仕事、やめたいけど次の仕事探すの面倒いし続けとこうかな。でもやっぱり嫌だなこの仕事。なんて思いながらだらだら続ける。

などなど

ダラけるな、という話ではなくて、だらだらするなら「今日はだらだらする」って決めてだらだらした方が気分がいい。

 

「なんか楽しくないなぁ、やる気ない」とわたしが思うのは、自分の主体性がない時。

「僕にとって、生きるにあたって一番大切なものは自信と自由だ」と教えてくれた友人がいる。

その友人にとっては、自信と自由。

わたしにとっては、主体性なのかも。

自分で決めたか否か。

 

今日は何をするか。

べぇさんも書いていたけど、「行けたら行く」なんて、人任せにして楽しいのかな。

主体性がないと価値観が育まれない。価値観が弱いと優先順位がつけられない。優先順位がつけられないとしたいことがわからない。

それは、仕事でだけじゃなくて、毎日の生活でも育まれる。

自主性と主体性は違う。

自主性だけ育てて安心してると、主体性が低いままで良しとしてしまいそう。

趣味を持っている人が輝いてみえるのは、主体的に生きている意志の力を垣間見るからかも。

 

 

ちなみに、「やる気がでない」って嘆く時、取り組む物事が悪いからやる気が出ない言ってるのは、どうなんだろ。

やる気が湧く仕事を与えられるのを待ってるだけってどうなんだろう。

 

後々、もう少し成熟したら、主体性を持って流されるってことにもチャレンジしたい🐽

f:id:novintos:20161008155901j:image

 

好きだと認めなよ

ブログ

好意を示してきた人を馬鹿にして、自分の優位性を保とうとする

馬鹿にされても、好きな人に好きだと言える

 

連絡を無視する

連絡を無視される

 

拒否する

拒否される

 

 

ダサいのはどちら

勇気が必要なのはどちら

生きているのはどちら

 

好意を認めるのが怖いのはみんな一緒

好意を示すのはもっと怖い

 

転けた人を笑うなと言うけれど、

好意を示した人を笑うなよ

 

自分を好く人より憎む人を重視するなよ

 

全部、自分に自信がないからだとはわかるけど、もうそこは卒業しようよ

自分を守るためだけに、自分を好いてくれる人を蔑ろにするのはやめようよ

自分を守るためだけに、自分の好意を無視するのはやめようよ

 

自分が誰かを愛しいと感じてること

自分で認めてあげなよ

 

もう恋人を愛していないこと

自分を許して認めてあげなよ

 

まだ別れた人のことを好きなこと

認めてあげなよ

 

相手を好きなことを認めなくて

逆に馬鹿にするの、やめてあげなよ

自分のために。

 

伝える、伝えないは置いといて

少なくとも自分で自分を認めてあげなよ

 

じゃないと単純に詰まらん

 

 

13年前の母の家出に、今夜思うこと

それは「お母さんも、悲しかったんだろうなぁ」ということ。



母は、わたしが小学生の頃、家出を繰り返していた。6年の間に少なくても7,8回。

そんなことを、googleマップで、当時住んでいた地域を眺めて、今夜思い出した。



これが当時住んでいた家で、この辺りでお母さんを追っかけて、おかーさん!おかーさん!泣きながら道路沿いを走って探したけど、どこにもいなくて・・・




可哀想。


飛び出していったお母さん。その度、捨てられた気持ちになった6,7歳のわたし。


可哀想。
可哀想。

うん。確かに可哀想、なんだけど。
今夜は疑問が・・・



どちらが?

わたしとお母さん、
どっちが可哀想だったのか。



たぶん、どちらも可哀想だったなぁって、今夜初めて思った。



わたしは当時悲しんだ。

お母さんも、きっと悲しかった。家出をしないと、自分が求められていると感じられなかったんだろうなぁ。

どうしていいか、わからんかったんだろう。
「わたしは山に住む!」
とか叫んで飛び出て
「ビタミン剤を取りにきた」とか言って戻ってきたりして。笑



家出は、家族を強制的に屈服させる暴力。残された者を捨てられた者として、本当に傷つける。
親が子どもにしちゃいけないこと。

そう、なんだけど・・・

そんなことをしてしまうくらい、追い込まれていたんだろう。
どうしていいかわからなかった。
そんな気がする。


弱い人を弱いから許せ、とは言わない。
悪人もいる。

でも、まずは、ただただとても深く悲しんだ人が存在した。
悲しんで傷ついた人が、自分の悲しみでいっぱいいっぱいで、違う誰かを傷つけていることを気付けなかった。

つまるところ、そういう話だった。
それを理解したい。