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novintos

のびられぬ日はのびぬなり

最近は白紙 たぶん過渡期

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年始に再来年以降の計画を白紙に戻してから、ふわっとした足取りのまま23日経った。やっと一人でぼーっと考えごと。

 

 

仕事はふわっとしておらず週6,7のまま。やることが増えて、大きなことを任せてもらえることが嬉しくてやる気が湧くあたり26歳っぽい。

 

2017年は2016年と違う感じ方。

仕事が難しくて、楽しくて、住んでる場所も、周りにいる人たちも好き。

2016年に学んだことが活かせてる感じもする。

よくわからん虚栄心をぼろぼろになりながら薄くした年として、2016年は自分にとって辛いながら大切だった。

 

このまま、仕事になんだかんだ精を出しながら生きていくのもいいかも。

って、前向きだけどふわっとしてる。

 

身体も軽いし、頭も軽い。

何かを考えないといけない気がふと頭をよぎることもある。

 

12月末にちょいと燃え尽きたみたい。

いつまでも白紙でいるつもりは多分ないけど、ただ目の前のことに流されているのも楽。楽と楽しいのは違うけど。

方向は定まっていない。

 

今までの自分らしくないけど、自分らしさほど定まらないものもないだろうし。

定まってないあたり、自分らしい。

今たぶん過渡期。

 

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そこに居続ける覚悟

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肩書きを変えること、居る場所を変えることだけが前進じゃない、勇気じゃない。

そこに居続ける勇気。

わたしにとって、居続ける覚悟は、居ることで引き起こされる感情や物事の結果を、自分で引き受けること。

 

離れると決めたところに、考えを改めて、もう一年居るということ。

私にとっては、それは場所を変えることよりも勇気がいる決断だった。

 

新しい環境は心躍る。

環境を変えることに慣れていた私にとっては、変えていく方が自然に感じた。

でも、残ると決めた。

不安はある。

"離れたらよかった、

やっばりやめたらよかった、

せっかく残ったのに、

また傷ついた。"

思いたくない。

 

本当に人の尊厳を奪う職場はあると思うから、どの職場にも居続けることが最善だとは思わない。

 

人生のすべて、わたしが意味付けしていくものだから、わたしが納得してるかによる。

 

1年後に、残ってよかったか否かを決めるのは、わたしがどう意味付けするかによる。

 

 

ようやく、自分の淵に少し触れた気がする。また少し変わった自分を感じる。

「自分探し」という自意識を肥大化する呪縛

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わたしは何だ

わたしはどんな人間なんだ

わたしはどう思われているのか

 

そんな途方のない、自意識の肥やしになる問いに「自分探し」という名前をつけて、自分の頭の中を何周も巡る。

巡る巡る。逡巡。

自己完結型の問いにばかり気を取られていたら、人との間、社会の中で傷つかなくて済むから。

 

計画を立てるのは楽しい。

夢がある。心躍る。

とても大切。

 

自分と向き合うことは必要。

人と向き合える前に自分と向き合うことは重要。

とても大切。

 

 

でも、いつまでも自分だけ向き合っていることは、

いつまでも計画を立てているだけと一緒。

傷付かない分、前に進めない。

 

今まで自意識の中に浸って見つめ合っていたから、理解できたことがある。

感謝してる。

そこから逡巡する期間を経て、今新たに社会に生きる。

人に及ぼせる影響を考えていく。

ようこそ26歳の世界へ。

「わたし、一人でちゃんとしっかりできますから!」

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おせっかいっていいじゃないですか。

 

先週の土曜日の深夜、神田から電車で帰宅中のこと。

わたしはたまたま席に座れた。

次の駅で、乗客がたくさん乗り込んできた。

目の前に仕事帰りっぽい女性の方(30代中頃。ショートカットの明るい茶髪。目を開くとクリクリしていて童顔。アパレル業界っぽい)が立った。

手摺に片手で掴まったまま、ぐわんぐわん身体を揺らして寝ている。

後ろの方、左右の方に全力でもたれかかり、周りも、うわ〜って顔をして彼女を押し返している。

 

たまたまお昼に友人のオフィスで昼寝をしていたわたしは席を立ち、お姉さんに座るよう促した。

「えぇ…!あ、あ、でも、だめです!悪いです!わたし寝過ごしちゃう…」とか涎を垂らして半目でもごもご言っていたが、座らせた。

15秒くらいして彼女はふらふらと立ち上がろうとした。

 

その時に言った言葉

 

「わたし、もう大丈夫です。わたし、一人でちゃんとしっかりできますから…!」

 

もうなんなんだこれ、ってイラっとした。「はいはい。いいから座って」って大阪のおばちゃんみたいに、彼女の肩に手を置いて座らせた。

降りる駅を尋ねて、わたしの降りる駅の少し前だったので、そこで起こすから寝てて、と伝えた。

ありがとうありがとう、ってぐずぐず泣き出した彼女は3分後にいびきをかいていた。

 

絶対大丈夫じゃないじゃん。

席代わっただけで、

泣くほどのことじゃないし。

そんなことが身に染みて泣いてしまうまで、ひとりで何やってんだ。

何でも一人でちゃんとしっかりできなくていいし。

みんなで生きてるんだから。

 

そんな気持ちがわーって湧いた。

大学2年の時、雨の日に濡れて歩いてるわたしに傘をくれて走り去ったサラリーマンのことを思い出した。なんだか、泣きそうになったことを思い出した。

 

なんか、こんなにも、一人で生きていけなきゃ一人前じゃないって気持ちに、誰がさせてるんだろう。

おせっかいな人が増えてもいいと思う。

わたしはもっとおせっかいになっていいとおもう。

ついに9回目のロルフィング。

ロルフィング

全部で10回のロルフィング

今日は、ついに9回目を受けました。

あっという間でした。

身体も固くて、考え方も

『こうでなきゃ!こうしなきゃ!』

って自分を責めて追い立てるスタイルだったのが柔らかく、柔らかくなってきました。

(それも強さのひとつの形だったからダメじゃないけど。)

首がすっと伸びて、四肢ももっと自由にぶらぶら出来て、ひょこひょこ歩きもちょっとずつなくなっていきました。

 

ロルフィングですごく楽になったから、他の人にもぜひ受けてほしい。

ぐっと生きやすくなるから。

ロルフィングを一回受けて、これを生業とする!って決めたくらいだから。

そして、全10回っていうのがやっぱりいい!

潔い。

 

よかった。

来年から学ぶものは、自信を持って、お届けできるもの。

自信を持って対価を頂けるもの。

 

 

◯ホット豆乳にすりおろしりんごと蜂蜜♡ ゆかちのお家で作ってもらったもののアレンジ。

やさしい味。

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自分が何かに没頭できないと思い込んでいる人は、没頭した状態になるのが怖いだけだと気づいた話。

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一念奮起して何かに没頭することに得手・不得手があることよりも、自分が没頭状態になることが怖いから避けているように思う。

 

わたしは集中力が昔からある子どもだったと思う。

いや、集中力と呼ぶよりも没頭力と呼ぶほうが正解かも。

例えば本。

本を読んでいて、人が部屋に入ってきたことに気付かないことはよくあったし、5,6時間、体勢をくるくる変えながら本を読むことはよくあった。

 

没頭状態はわたしにとって少し危険な状態だった。その本を読んでいると間は他のことを忘れてしまう。文字通り時間を忘れてしまって友達を大激怒させたこともある。この本を読みたい。この本を読み終えるまで他の本は読みたくない。

ちょっとした変人だ。

 

そして、経験を積む内に、ちょっと集中しただけじゃなかなか続けられないことに直面する。短期的な集中力じゃ賄えない。じゃあ長期で集中してみる?

それはしんどそうだ。

危険だし。

寝ないでやろうとするかも、自分。

寝たいな。出来ないかもしれないし。

没頭して出来なかったら悲しいし。

変人に見えるし。

 

と、そのような状態でした。

 

 

なのでここでいっちょ、上記の思い込みをなかったことにして、したいのことよ優先順位をつけて思い切ってそれに偏って、変人になろうかと思います。

 

没頭怖い人の皆さんは、いい加減良いバランスを〜と逃げ口上に使っていないで思い切って偏ってまいりましょう。

 

6,7歳児も円形脱毛症になる。

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「先生に抱きついちゃダメだよ」と同級生を止める子ほど、誰よりも抱きつきたいと思っている。

 

とても不愉快そうに、先生に甘える同級生を睨んで、物理的に止めようと間に入る児童は、甘えたいけど「甘えていけない」と日頃から自分に言い聞かせてる。

 

「先生のセーターが伸びるからダメだよ」と、我慢して、相手を気遣うことをアピールしながら同級生を止める子どもは、「我慢していること」を褒められ慣れている。我慢することでしか認められないのなら、ストレスで円形脱毛症にもなる。

 

「甘えたい時は甘えてもいいんですよ」と、毎日毎日、動きや全身で子どもに伝える。子どもたちがワ〜っと抱きついてくるのが毎朝の恒例。とても大切なこと。努力して我慢することより、工夫して人に頼ることを身に付けてほしい。