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novintos

のびられぬ日はのびぬなり

13年前の母の家出に、今夜思うこと

それは「お母さんも、悲しかったんだろうなぁ」ということ。



母は、わたしが小学生の頃、家出を繰り返していた。6年の間に少なくても7,8回。

そんなことを、googleマップで、当時住んでいた地域を眺めて、今夜思い出した。



これが当時住んでいた家で、この辺りでお母さんを追っかけて、おかーさん!おかーさん!泣きながら道路沿いを走って探したけど、どこにもいなくて・・・




可哀想。


飛び出していったお母さん。その度、捨てられた気持ちになった6,7歳のわたし。


可哀想。
可哀想。

うん。確かに可哀想、なんだけど。
今夜は疑問が・・・



どちらが?

わたしとお母さん、
どっちが可哀想だったのか。



たぶん、どちらも可哀想だったなぁって、今夜初めて思った。



わたしは当時悲しんだ。

お母さんも、きっと悲しかった。家出をしないと、自分が求められていると感じられなかったんだろうなぁ。

どうしていいか、わからんかったんだろう。
「わたしは山に住む!」
とか叫んで飛び出て
「ビタミン剤を取りにきた」とか言って戻ってきたりして。笑



家出は、家族を強制的に屈服させる暴力。残された者を捨てられた者として、本当に傷つける。
親が子どもにしちゃいけないこと。

そう、なんだけど・・・

そんなことをしてしまうくらい、追い込まれていたんだろう。
どうしていいかわからなかった。
そんな気がする。


弱い人を弱いから許せ、とは言わない。
悪人もいる。

でも、まずは、ただただとても深く悲しんだ人が存在した。
悲しんで傷ついた人が、自分の悲しみでいっぱいいっぱいで、違う誰かを傷つけていることを気付けなかった。

つまるところ、そういう話だった。
それを理解したい。