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novintos

のびられぬ日はのびぬなり

自分の心を守ることは自分にしか出来ない

帰省を一週間早く切り上げて、二日間の滞在で、昨日鎌倉へ戻ってきた。

 

 

何かしたくて、春休み中の職場に向かった。幸いすることはたくさんある。

 

 

昨日、母が怒りで興奮しているのを見て、昔のことを思い出して、怖くなって、帰ろうと決めた。

ドンドンドンドン足音を立てて歩いて、ヒステリーを起こして怒鳴り立てる母を見て、聞いて、昔ならそこでどうされていたかを思い出した。

 

身が縮こまって、肺が圧迫されて、呼吸が浅くなる。小学生の時に過呼吸になったことを思い出した。

息がうまく出来なくて、震え始めて、自分の中の怯えた子どもが顔を出す。

家の中に、自分を攻撃してくる人がいることは、とても怖い。

安全地帯がない。

とても耐えられなかった。

昔は、自分の気持ちに無関心になるか、人に攻撃的になるか、の二通りしかなかった。

大人になった今、その場を去ることができる。

母が出かけた隙に、メモ書き程度の手紙を置いて去った。

英断だった。よく自分の心を守ったと、昨日の自分を抱きしめてあげたい。

 

鎌倉に帰ってよかったと思う。

いつもはそこで我慢して、無表情になって、冷たい目つきになってまで、家に残るけど、今度は自分の心を優先した。

母といるには、柔らかい心じゃダメなんだ。

悲しい、とか、寂しい、とか、表してはいけない。

共感を求めてはいけない。

ぐちゃぐちゃに傷付けられて、悲しくなるだけだから。

人に柔らかい部分を見せると傷付けられる、と誤って学習してしまう。

そこまで傷ついてまで、母は、側にいてほしい人だった。

愛されたかった。

でも、今は私を愛してくれる人がいる。

それ以上に、私が私を愛しているから。

私が母といるには、自分が傷ついていることに気付かないよう、自分の感情に無頓着になるしかない。

傷付くことを無視する。

 

でも、互いに歩み寄れないまま、わたしの心が傷ついてまで一緒にいた方がよい人間は、この世に存在しない。

それが他人でも、家族でも。

わたしにとって、わたし以上に大切な存在はないから。

 

 

 

今日は、後遺症のようなものがあった。

今朝は起きた時から自分の顔つきが鋭く、怒っている目つきだった。
すごく攻撃的な表情になっては、全部どうでもいいような虚ろな表情になるを繰り返す。身体がふわふわした。

 

中・高校生の時は家にいる時
大学生の時は一人でいる時


こんな顔をしていたのを体感的に思い出す。社会人になってからは、初めてだった。

とても馴染みのある表情だったけど、初めてその表情を認識した。

認識できるようになるなんて、大人になったんだなぁ、と思った。

 

 

今日、同僚と世間話をしていて

意見を訊かれるたび、

「なんでもいいです」と何度も言いそうになった。

小・中・高校生の時の家での口癖だ。

本心は「どうでもいい」だけど、そう言うと相手が気分を害するから「なんでもいい」。

実家にいると、したいことがわからなくなる。

こうしたい、ああしたい、というものがわからなくなる。

誰といたいかも分からなくなって、どうでもよくなる。

すべて、嫌なことを分からなくするためだった。

されて嫌なことも、されて嬉しいことも分からなくなったら、何も気にしないで、飄々と生きていける。

誰に身体を触られようと、抱かれようがどうでもよいほど、全部どうでもよくなる。

今思うと、それは自暴自棄ってやつだ。

 

話は逸れるけど、

よくぞ

よくぞ

よくぞ

弱みに付け込む狡い男性や、お金を巻き上げる宗教に嵌らず、自傷行為もせず、ここまできた、と自分に言いたい。

そうした人たちが、特別弱い人間だと思わない。

すがる対象が必要な、大変な孤独を抱えていたのだろう、そんな環境だったのだろうと思う。

簡単に批難できる人は、たまたま今までラッキーだっただけだ。

いや、アンラッキーかな。

人の弱みを指差して笑う人は、心と想像力と人生経験が貧しい可哀想な人なのだと思う。

もしくは、自分の傷に気付かないフリをしている人。

どちらにせよ、可哀想だ。

 

 

 

正午まで、そんな気持ちになっていた。

息がしづらくて、お腹は鉛を飲み込んだように重かった。

でも、職場でたまたま子どもたちと会って、子どもたちが抱きついてきて、お腹の鉛も消え去っていった。

こんな事があるから、誰が孤独か、顔を見て気付くこともある。

抱きしめられる。

自分の経験に、感謝できる。

今日、急速に正常に戻りつつあり、あと2,3日したら本格的に落ち着く気すらする。

 

 

今回、帰省をして気付いたことはたくさんあった。

わたしは、優しさを求めるあまり我慢を強いる。

相手にも、自分にも。

我慢することが愛だと思っていたから。

自分が傷ついていることを我慢して、そこに居る方が、相手が傷付くより良いと思っていた。

逆も然り。

今回は、そうじゃないと思えて、帰ってきた。

心に、母はいつもいる。

深く愛している。

心には大切に居れど、側に居てはいけない人は、きっといる。

優しい気持ちになれる人と側にいたい。

自分の弱い部分、甘える部分を見せられる人と一緒にいたい。

泣いたら、泣いたことを責めてこない人と一緒にいたい。

20の時、母に言われたことで泣いた私を見て、鼻で笑いながら「なんでぶりっこしてるの?可愛くないよ」と母に言われてから、人前で泣くのがとても怖かった。

社会人になって、素直に泣く子どもたちと触れ合ったこと、恋人に深く愛されたこと、たくさんの方々との交流で、鎌倉の場所に、心が癒されて、抱きついて泣けるようにまでなった。

本来の、とても涙脆い自分が安心して現れるようになった。

 

多分、今、そんな心を許しあえる恋愛対象を探すということも選択肢の一つなんだろうけど、

本当は、自分にとって自分が一番の甘えられる人になることが、私の求めている道なのだと思う。

しんどいなら鎌倉に帰っておいで

と、今回は人に言ってもらえたから帰ると決められたけど、本当は自分が自分にそれを言ってあげられるといいんだろう。

自分で自分のことを決めて、

自分で自分のことを慰められる

そんな人になりたい。

「人に真のところで甘えないことが、あなたの偉いところであり、厳しいところだね。」と言われた。

だから、わたしはブログを書くのだと思う。

 

 

帰らないと自殺します。

あなたがいないと生きていけません。

 

家を出て30分後、母からメールが来た。涙がこみ上げてきて、顔を押さえて、電車のホームで嗚咽した。

 

瞬時に2つの気持ちが沸き起こった。

 

帰らなきゃ。また脅された

私は一生この人に脅されて、一生自分の心を生贄に母を生かすしかない

 

という気持ちと

 

愛している母を、突き放して、ここまで追い詰めて、わたしはなんて事をしているのだろう。可哀想な、酷いことをしてる。

 

 

意識が本当に真っ暗になって、フラっとした。顔を押さえて、うあ、とかなんか呻いた気もする。

でも、これじゃ何も変わらない。

自分を大切にしたい、と思った。

 

深呼吸して、迷いながらも

「愛しているから帰るよ。また会いにくるから。愛してるよ。」

と返信して、電車に乗った。

お互いのために、適切な距離感を探しながら、これからも母を愛するために。

 

母を愛する距離が、会わない距離だとしたら、それもまた良いと思う。

しょうがない。

家族関係も人間関係。

うまくいかない時もある。

うまくいく時もある。

なるようにしかならない。

そんなもんでしょ。良い意味で。